石積む人も好きずき
私たちが住む鬼北町には国指定史跡『等妙寺旧境内』(←鬼北町のホームページに飛びます。)
という史跡があるのですが
鎌倉時代後期に後醍醐天皇の勅願により建立された寺院だそう。
『遠国の四箇戒場』の一つとして、
また伝戒師を養成する拠点寺院として近隣の寺院の住職となる人物たちが修行をしていました。
残念なことに1588年に火災により堂舎が全焼し、その後荒廃。本堂は移転され、残った史跡を現在発掘調査しています。
と、
そんな由緒ある大寺院の史跡で発掘調査現地説明会が行われるとのことで参加してきました。
奈良山の中の沢沿いに登っていくと、ちらほらと人為的な石の遺構が見えてきます。
15分ほど歩くと整備された道に出て、さらに上を目指します。
すると、
高さ6メートルほどの石垣が見えてきます。
薄く平べったい石を使い積み上げられています。
裏込めは用いられず、重ね積みや縦横の目地も特に意識されることなく通されています。
顎止め、段積みといった中世の石垣の技術が見られ、ところどころ鏡石が設置され、魅せるための積み方がされている箇所もあり大変見応えがあり、興味深く見学をすることができました。
中でも個人的に感動したのが
同じ側面でも積み方が微妙に違う箇所。
(写真がわかりづらくてすみません。真ん中の切り株から左右で微妙に積み方、石の使い方が違うんです。)
石垣技術研究機構の高瀬哲郎先生曰く
「積んだ職人が違う。分担して積んだのだろう。」とのこと。
つまり、数人の石工がそれぞれ担当の箇所を自分たちの好みの形で積み上げていったということ。
もちろん好き勝手積んである訳ではなく、全体の調和の中に石工各人の
個性、好み、世界観、空気。
そういったものが見られ、先人たちが生き、働き、
文字通り積み上げたものが目の前にある。
随所に見られる個性がなぜかとても嬉しく、感情を揺さぶられました。
個と全体
相反するはずの二つの事象の絶妙な『間』。
この『間』こそがこの世界をより創造的なものにしていくのではないかと思います。
まだまだその領域には遠く及びはしませんが、
全体の調和の中に自分自身の世界を表現できるよう邁進、前進あるのみですね^^
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